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鳥のいる生活、鳥のいる人生

Life with birds.
物心ついたときから、鳥が隣にいる生活。
母親の影響で、幼少期からペットとして鳥(インコ)が自宅にいました。当時はセキセイインコが中心。いちどオカメインコが家族になった時もありましたが、残念ながら1周間ほどで他界してしまいました。
怪我をしたスズメを保護したこともあります。寄生虫のこともあり、触ろうとすると強く親に怒られたことを覚えています。そのスズメは人間に慣れすぎてしまい、仕事で疲れきったオヤジが寝ている枕の近くで遊んでいたとき、寝返りをうったオヤジの頭の下敷きになって死んでしまいました。あの時ほど、オヤジのことを憎んだことはありませんでした(まだ小学生だったので)。でも、今考えれば、なんともオヤジにとっても理不尽な状況だったかと思います。
母親は、かならず手乗りにするために、挿し餌の必要な雛の状態で鳥をお迎えしていました。お湯で粟玉を溶いて与える様子は、我が生家の日常的な風景でした。本当は有精卵の孵化からやりたかったらしいのですが、幼子を2人も抱えた状態では、それは難しかったようです。
セキセイインコは、必ず、我が家の家族全員の名前と、電話(当時は固定電話しかありませんでした)番号を覚えてもらっていました。もし逃げてしまった時に、飼い主が分かるようにということだそうです。
再びはじまった、鳥との生活。
社会人になると、人生初の下宿生活。会社の独身寮で暮らすために、初めて親元を離れて生活することになりました。当然、独身寮はペット禁止。私が鳥との生活を再開するには、それから10年が必要でした。
齢30を迎え、とある事情で仕事の環境が大激変した際、そのプレッシャーとストレスのあまり、たまたま休日に訪れたホームセンターのペットショップで、白文鳥と桜文鳥を2羽セットで購入。完全に衝動買い、いや、衝動飼い。
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ほどなくして、桜文鳥のほうは、もともと弱っていたのか他界してしまいました。こうして、白文鳥との生活が始まりました。
文鳥を飼うのは、実は初めてでしたが、とても気高く、そして、人間のことが大好きでした。
ちょうどデジタル一眼レフにハマっていたときだったので、連写モードでバシバシと撮影。flickrにCCで写真をUPすると、GIZMODEの記事に使っていただいたこともありました。
いまはお星様になってしまった白文鳥ですが、GIZMODEの記事を見るたびに、思い出すことができます。
ICUにも通った、サザナミインコとの闘病生活
人間と生活する、愛玩動物としての鳥のことを、コンパニオンバードと呼ぶことを、この頃から知るようになります。そして、コンパニオンバードを専門に扱うお店を巡るように成りました。
そんななか、お迎えしたのが、サザナミインコという鳥。
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とても可愛らしく、穏やかな性格の鳥でした。鳴き方も、とてもキュート。
ただ、呼吸器系が弱い種であるという説もあり、我が家のこの子も、ほどなくして、呼吸器系の問題を抱えるようになりました。
小鳥専門の病院に通いました。
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必死の治療もなかなか奏功せず、病院のICUに数週間預けることにしました。高酸素が維持されたケージのなかでは、元気を取り戻したように見えました。でも、ICUから出すと、数日ですぐに呼吸困難に。
経済的な事情もあり(ICUは一日預けるだけで約1万円)、高酸素状態を維持するためのICUケージを業者から直接リースし、自宅に設置。1ヶ月半が経過したところで、もはや自発呼吸が困難な状態になりました。
最後のあいさつをしたかったのでしょうか。しきりに酸素ケージから出してほしいと鳴いてせがんでくるので、出してあげると、手のひらのなかで、そっと息をひきとりました。
現在:オカメインコとウロコインコ
サザナミインコとの別れが、あまりにも辛い体験だったこともあって、しばらく鳥との生活にブランクがありました。
とあるきっかけがあり、オカメインコをお迎え。ホワイトフェイスシナモンパールという、ちょっと変わった品種。今も元気に暮らしています。(なかなか発情のコントロールが難しく、無精卵を産む機会が多いのはちょっと困りますが・・・)
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さらに、バライロビタイウロコインコという、ラテン系の性格(?)の鳥も仲間入り。知性も高く、インコというよりも、まるでオウムのようで、毎日新たな発見があります。
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鳥以外にも、フクロモモンガやヒョウモントカゲモドキ、ニシアフリカトカゲモドキと、いつの間にか扶養家族が増えていますが、今の2羽には、しっかりと天珠をまっとうさせてあげたいと思っています。なので、毎年の健康診断受診は続けています。
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